こんにちは
少しずつ気温が上がり、雪も融けてきましたね。
もうあれから20年も経ったのかと思います。私が初めて院長職を引き受けたのは大丸札幌店のなかにできたホワイトニングの「店」でした。
インプラントは他の先生が行う、私の担当はホワイトニングだけど、とても勉強になる環境だからと言われてお引き受けしました。
お給料は有休無し賞与無しの25万円で4週6休でした。でも学べればそれでもいいと思いました。
実際は軽度のむし歯も歯周病も全く治療できないホワイトニングオンリーのところで、歯科医師は私しかいない、それがわかったときの驚愕は今でも覚えています。
テナントとはいえ、大丸百貨店の一員として、またお客さまからすると私も紛れもない店員さんのひとりです。
百貨店で準社員として接遇の研修、開店半年前からお店の整備、搬入、それはそれは今まで体験したことのない世界でした。
百貨店のなかは開店前の数ヶ月、一面ブルーシートで養生され、管理職の方々も無精ひげを生やしたまま作業に没頭されていました。
契約した以上覚悟して勤務しましたが、百貨店というまた大変な世界を垣間見た気がしました。
大丸さんの職員さんとともに社員食堂も利用しましたが、約5時間かかるブライトスマイルやズームホワイトニングを施術した後では食堂に行っても何も食べ物がありません。
見かねた3階のマネジャーが、「せんせー、おにぎりこうてきたるわ!」と言ってくださいました。3階は婦人服の売り場でしたので、マネジャーはお客さまに対する配慮は最大に、たくさんのお店の若い店員さんにも細かく気を遣われており、本当にお世話になりました。
社食は2度で諦め、おにぎりを持参することにしました。
毎朝極度に緊張しながら通勤しました。
百貨店のなかでは間違いが無いように透明なビニールバッグに私物をいれて移動します。
裏では偶数階で止まるエレベーターに乗るので、3階に行くためには2階で降りて裏階段を登るか、4階で降りて裏階段を降りるかです。
オープンしてまもなく、私が2階から店内のエスカレーターで3階に向かっていると、サブマネジャーがとんできました。
「先生!店内のエスカレーターを使えるのは管理職だけですっ!」
サロンの体なので、あるときは
「カットだけしてもらえる?」とお客さまが飛び込んできたり、
「栗原はるみさんのお店はどこにあるの?」と聞かれれば中央エレベーターまでご案内して丁寧に行き方をお伝えします。
施術が閉店20時を過ぎたら、1番右手のエレベーターにご案内し、扉が閉まってお客さまが見えなくなるまでお辞儀をしてお見送りをしました。
私はこういうことは少しも苦になりませんでした。
それ以前にもコンビニのカリスマ店員(笑)だったり、古本屋さんの店主だったりしたからかもしれません。
喫茶店の厨房は面接で落ちました。。。
肝心のホワイトニングは、当時札幌に2台しかなかったブライトスマイルを始め、海外製のマシンホワイトニングを2種類、ホームホワイトニングを1種類、国産のマシンとホームを1種類ずつ、計5種類のマシンと薬剤を使い分け、毎日毎日ホワイトニングしていました。
ホワイトニングを専門にするということで、私は専門誌の特集や文献を読み漁りました。
3月3日から5日までは内覧会が行われます。様子を見にいらした技術を習う東京の先生に、これまで調べたことの疑問点を数々申し述べたら、「そんなに勉強しなくていいよ〜、全部衛生士がやるから」と言われてびっくり。
応援できてくださった東京の店舗の衛生士さんの雅やかさにまたびっくり。
札幌店オーナーは別におり、歯科医師は他店のようにいるだけではなく、実際にホワイトニングを行うことになっていました。
ですが、医院でなくサロンであるから素手で施術してということにはどうしても同意出来ず。
決められたマニュアル通りにしか話してはいけない。何よりう蝕や重度歯周炎を放置してホワイトニングしかできなことへの苛立ち。
しかしながら歯の色がコンプレックスだったお客さまの気持ちが一変して明るくなることも事実です。感謝のお言葉やお手紙もいただきました。
3ヶ月もすると、周りの売り場の若い店員さんがバタバタと倒れる現象を、救護室で看護師さんに説明しながら私の胃壁も病んでいきました(笑)
10歳以上年下のスタッフに「代診の〇〇先生はいつも辞書片手に説明書を読んでいるのに、先生はいつ勉強しているのですか!」「この世のなか、言ったもん勝ちですよ!」などど言われるにつけ、私がこここで一生懸命ホワイトニング「のみ」することに耐えられなくなりました。
所詮雇われの院長ですから、船頭が何人もいるとスタッフは誰が1番強いのかとそればかり気にして、本来の仕事すら集中しなくなりました。
私の仕事内容だけどんどんきつくなっていきました。
今なら、私は説明書くらいの英語なら辞書は必要ない!と言えるかも。
私はスタッフに、どんな経験も必ず役にたつと伝えています。
そのとき辛くても、時が経てば別な側面が見える、こともある(笑)
だって辛いことは辛いですし、その感情の記憶を無理にポジティブに変える必要はないと思っています。このご時世、辛ければ逃げる選択肢を持つことも必要なのではないかとも。
私がお世話になった内科の先生は「いつも辞表を胸に仕事をする」とおっしゃいました。
それは無責任にすぐ投げ出すということではなく、いつ辞めても悔いはないほど全力で仕事を全うするということ。
専門は違えど、先生の背中をみて勉強してきました。
この春進学、新社会人など新たな環境に飛び込む若者にも幸多かれと祈っております。
皆さまには三寒四温の折り、お身体ご自愛ください。
✱写真は札幌駅のお土産屋さんに入っている、札幌農学校のソフトクリームです。すごくおいしいです。ぜひコーンで!
ちかま歯科クリニック
近間 恭子